平子雄一がキュレーションするグループ展「In search of others」がKOTARO NUKAGA (天王洲) で開催

2022年4月20日 水曜日 8:18 PM



KOTARO NUKAGAでは、5月14日(土)から6月25日(土)まで、グループ展“In search of others”を開催します。本展は平子雄一がキュレーションをする初のグループ展となり、「他者」として存在するヒトをテーマに、国内外から平子を含む、伊佐治雄悟、王冠蓁、熊野海、高橋直宏、陳雲、寺本明志、という7名のアーティストが参加します。

存在する全てのものが彫刻に見えてきたと言う伊佐治雄悟は、主に可塑性のあるプラスティック製品を素材として、人間の顔のようなモデルや丸く膨張させたボトルなどのファウンド・オブジェを制作し、無機質な日用品に内在する生命感を感じさせます。王冠蓁はペインティングと陶器の二つのジャンルを横断し、無邪気さと奇妙性を兼ね備えた人物像や、切り取った身体を形にした陶器を制作することで、感情が溢れた人間と「非個性」な器物の間の境界にアプローチします。一方、熊野海は壮大な光景を映す作品を展開しています。彼のペインティングは、鮮やかな色彩を用い、煙が溢れた現代社会の闇の中に、カオスと共に暮らしている人間社会を描き出します。また、高橋直宏が主に制作している人体の木彫は、身体が断片的に繋がれたり、糸繰り人形のようであったり、各部位を不自然に組み合わせ、異形を表現することによって、物理的な制約の下に人間をどう考察していくか問いかけます。記憶の具現化を表現のテーマとする陳雲は、2~3枚のパネルを組み合わせることによるモンタージュ的な手法を用い、抽象と具象を同時に提示することで、日常的に目にするモダンスタイルの人物をリリカルな映画のようなシーンに登場させます。寺本明志の絵画は、日常のモチーフを異なる空間に配置することで、非日常な景色を作り出します。鑑賞者を自然態と違和感の間に行き来させ、我々が生きている環境にあるさまざまな要素(人間を含む)の関係性を再考する必要を提示してくれます。

この展覧会において、アーティストたちは作品それ自体や作品の中に様々な「他者」を作り出します。広義な意味で「他者」を捉えた場合、「他者」とは単に「他人」を意味するものではありません。「私」という主体に対する世界という意味での客体や、アーティストのメッセージを代弁し伝える「ヒト」も鑑賞者にとってはある意味での「他者」となります。フランスの哲学者エマニュエル・レヴィナスは、「他者」とは「理解されえない、つまり包括されることが不可能なものである」としています。しかし一方で、理解しえない「他者」の生み出すノイズは私たちを今いる閉じた環世界から外の世界へと目を向けさせるものであり、その意味において「他者」は「私」を自己完結の孤独から救い出す「可能性そのもの」であるとも言えるのです。

例えば、平子は近代以降綿々と続く、自然と人間との間にある主客二元論的な関係の歪さを伝えるために、頭部が樹木の形をした人型の登場人物(以下「樹人間」)を創り、気になる「他者」として、人の意識を自然との関係性へ誘います。「樹人間」は平子がロンドン留学時に都市部の公園などの木々を見てそれを人々が自然として向き合っていること、さらに言えば「自然の良し悪しを選別し、人工的に植物世界を作り、それに満足をする」人間へのある種の違和感から生まれてきた「他者」です。とりまく世界のすべてをコントロールし、自然の生態系を変化、搾取することで私たち人類は資本主義を支えてきた側面を持ちます。しかし、そうやって人間中心的嗜好によって進められてきた産業化による自然への影響は「人新世(アントロポセン)」と呼ばれる地質年代にも現れるように、環境問題は近代的な人間中心主義の視点だけではもはや解決できないところまで差し迫った問題となってきているという見方もされています。

私たち人間は自然世界を「他者」として私たち自身をそこから切り離すようにして「自己」を認識してきました。主体たる私たちは世界である「他者」を客体として従属させるようにして距離をとってしまったために「他者」である世界の声が聞こえなくなってしまっています。未だにその全貌や解決策の見えない新型コロナウイルスの登場はまさにこの声の聞けない「他者」であるとも言えます。平子の描き出す「他者」である「樹人間」も声を発して何かを語ることはありません。しかし、「樹人間」が「他者」として私たちの前に姿を現わすことには意味があります。彼らの声に耳を傾けてみてください。心を開き、彼らに向き合うこと、つまり世界へ参与することで彼らは言葉ではない何かを伝えてくれるかもしれません。それは平子の思いであるかもしれませんが、平子を通して何かを伝えようとしている「他者」である世界の声であるともいえます。

近年コロナ禍においてますます加速したオンラインメディアやSNSを通して行う「他者」とのコミュニケーションの日々は、私たち自身のいる世界が小さな環世界であることを自覚させました。そして、環世界の外の出来事の全て、パンデミックや戦争、オリンピックなどすべての現実から手触りのあるリアリティを奪い去りました。かつての日常では、例えば駅ですれ違うだけの見知らぬ他人である「他者」でさえも「私たち」の世界にリアリティを生み出していた存在であると考えざるを得ません。

平子は「ぜひ、会場で他者探しをしてほしい」と言います。「他者」から何かを読み取ろうという開かれた姿勢や意識により、「他者」である彼らは世界への架け橋となり、私たちを小さな環世界の外の世界へと導いてくれるはずです。

ぜひ彼らの声に耳を傾けてみてください。

■開催概要
「In search of others」
会期: 2022年5月14日(土)- 6月25日(土)
開廊時間: 11:00 - 18:00 (火-土) ※日月祝休廊
オープニングレセプション: 5月14日(土)16:00 – 18:00
※国や自治体の要請等により、日程や内容が変更になる可能性があります。

■会場
KOTARO NUKAGA(天王洲)
〒140-0002 東京都品川区東品川1-33-10 TERRADA Art Complex 3F
アクセス:東京臨海高速鉄道りんかい線「天王洲アイル駅」か徒歩約8分、東京モノレール羽田空港線「天王洲アイル駅」から徒歩約10分、京急本線「新馬場駅」から徒歩約8分

■アーティスト
平子雄一|Yuichi Hirako

1982年岡山県生まれ、東京在住。2006年にイギリスのWimbledon college of Arts, Fine Art, Painting 学科を卒業。植物や自然と人間の共存について、また、その関係性の中に浮上する曖昧さや疑問をテーマに制作を行う。観葉植物や街路樹、公園に植えられた植物など、人によってコントロールされた植物を「自然」と定義することへの違和感をきっかけに、現代社会における自然と人間との境界線を、作品制作を通して探求している。ペインティングを中心に、ドローイングや彫刻、インスタレーション、サウンドパフォーマンスなど、表現手法は多岐にわたる。ロンドン、ロッテルダム、上海、ソウルなど、国外でも精力的に作品を発表している。

伊佐治雄悟|Yugo Isaji

1985年岐阜県生まれ。ドイツのMunster Sculpture Projectへ訪れたことが、伊佐治の美術家としての原体験の一つである。そこで作品を求めて街中を彷徨ううちに、全てのものが彫刻に見えてきたことが現在の制作活動に繋がっている。伊佐治はこの現象を「彫刻酔い」と呼び、作品鑑賞が解釈するだけでなく身体を使う体験でもあると考えるようになる。また、伊佐治にとって作品制作とは、その素材が持つ言葉や役割から解放させることだとも言う。

王冠蓁|Wang Guan-Jhen

1991年台湾の台中生まれ。王冠蓁の作品に描かれている孤独や寂しさは、まるで宇宙に浮いているような感覚を与えられる。その人物の質感、筆致には小さな温もりが芽生えるが、即時にその周りの果てしない暗闇に包まれている。一見無関心に見える登場人物の表情は、喪失感や絶望を語り、どこか優しさに満ちたため息となっているように聞こえてくる。理性と情熱は紙一重であり、それが作品の魅力なのかもしれない。

熊野海|Umi Kumano
(C)️Tsutomu Ogino
1983年福井県生まれ。混沌とした社会を日常的な視点から見つめ、矛盾といった両義的世界の境界をテーマに制作している。近年の急速な先端技術の発達や、予測不能な災害といった世界規模での様々な現象などは、わたしたち人間にはコントロールできないリアルとして、時代の不穏さを加速させている。それらは予期せぬ思いがけない物語を生み出し、悲しみや福音となってわたしたちの日常の新たな像(イメージ)をかたちづくってゆく。熊野はさまざまな価値観が広がる現代において、現実と非現実が交わる不可解で不完全なわたしたちの世界を映す作品を展開している。

高橋直宏|Naohiro Takahashi

1991年北海道生まれ。高橋は、バラバラな身体、複数の部位を持つ人体像を制作している。このような可変的な身体は、私たちが持つ「正しさ」に対して揺らぎを働きかける。主体は確固たる一つのものではなく、外部との重なり合いによって、複数存在し、外部との関係は絶え間なく変化している。バラバラの人体像は自己と他者との“きわ”で揺れ動く像であり、高橋はこれによって関係性の微細な振動を捉えようと試みている。

陳雲|Chen Yun

1988年台湾の宜蘭生まれ。陳雲の作品は抽象的であると同時に具象的な記憶を描くことが多く、物語をモンタージュするように捉えられる。過去の記憶や夢は、かつて経験したものでありながら、その真実さを証明することができない。陳は、自身の遠い記憶を取り込むと同時に、鑑賞者自身の意識も呼び覚まさせている。彼女の控えめな作風で、人物の表現をはっきり読み取ることは難しいが、感情の強さが伝わってくる。

寺本明志|Akashi Teramoto

1992年神奈川県生まれ。制作初期にインスタレーションに取り組んでいたことが作風に影響している。どのような場所であっても、ものや人が並んだ時、それらは対等な関係であるはずだと考え、Patio(中庭)に並べると、その関係が自然と際立って見えると話す。「在るもの(または人)をただ描く。その作業の繰り返しが、次第にPatioで起きている事象となり、対等であるものが繋がり始めるのだ。ごく自然な現象がPatioで起こることにより、絵を自然と描かされていることに気づく」と寺本は言う。

■作品
平子雄一《Fallen Leaves 09》2022
伊佐治雄悟《greeble the space 10》2022


王冠蓁《Ceramics Exhibition》2020
熊野海《Wanderlust》2022
高橋直宏《ふりのふりをする》2022 (C)️上田陽子
陳雲《Standing for a long time. Pray that the mind can slowly fade away like the gradual change of shadows》2021
寺本明志《Patio-穴を掘る人-》2021

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