高槻市史に残る大水害「大塚切れ」の教訓を胸に高槻市長らが防災の決意新たに

令和8年10月1日(木曜日)、高槻市大塚町の淀川堤防にある「大塚切れ」の洪水記念碑前で、濱田剛史市長らが碑文朗読や決意表明を行う伝承式を実施。約100年前の大水害「大塚切れ」を教訓に、市民の安全・安心を守り続けていく決意を新たにしました。
大正6(1917)年10月1日、台風による連日の大雨で淀川の水位が上昇し、大塚地区の堤防が約200メートルにわたって決壊。流れ込んだ濁流は芥川をも巻き込み、淀川右岸一帯で被災戸数が約15,000戸、被災人口は約65,000人と甚大な被害をもたらしました。高槻市では、平成29年に淀川大塚切れ100年記念事業として開催した「淀川サミット」をきっかけに、「大塚切れ」の教訓を風化させず、後世へと受け継いでいくための伝承式を毎年実施しています。
この日、濱田市長のほか、西澤洋行近畿地方整備局淀川河川事務所長をはじめ、同事務所と市職員の32人が大塚町の淀川堤防にある大塚切れ洪水記念碑前に集合。濱田市長が「大塚切れの教訓や先人たちの治水事業に対するご苦労を後世に伝えるとともに、流域全体で水害を軽減させる流域治水を推進し、災害に強い強靭なまちづくりに取り組んでいきます」とあいさつを行い、参加した同事務所と市の職員全員で「淀川水流千古 變災來自有時 世人能思天意 居安必勿忘危(淀川の水は永遠に流れ続け、災害となって降りかかってくるときもある。人はそれも自然の摂理と受け止め、安楽に暮らしていても、絶対に危機のあることを忘れてはならない)」などと洪水記念碑に刻まれた漢文の要約文を読み上げました。
その後、市職員代表が「我々は、「大塚切れ」を決して忘れることなく、心に刻み込み、「大塚切れ」からの復旧やその後の水防対策に取り組まれた先人たちの並々ならぬご労苦に感謝するとともに、この大塚切れを後世に伝え、市民の安全・安心を守り続けて行くことを、改めてここに誓います」と決意を述べ、参加者は「大塚切れ」の教訓を胸に刻むとともに、水害から市民の生命・財産を守り続ける決意を新たにしました。
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